雛人形・五月人形・鯉のぼり・日本人形・羽子板・破魔弓を製造直売しています!

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なぜ?なぜ?【羽子板】【破魔弓】の豆知識(^^)

 こんにちは、秀光人形工房のさわだです


この時期のお人形屋さんは「羽子板」「破魔弓」の販売がメインです
「羽子板」や「破魔弓」を「お正月飾り」とも言います。

この羽子板や破魔弓などのお正月飾りは、産まれて初めてのお正月を迎える赤ちゃんに対して、守ってもらえるように飾ってあげるのが主題になります。
初めてのお正月を迎えられる喜びも一緒にお祝いします♪

そこで、女の子には「羽子板」、男の子には「破魔弓」を飾って、「お正月の初節句」の際に「邪気」から赤ちゃんを守ってもらいます。
「羽子板」には「魔を羽根除ける」、「破魔弓」には「魔を射抜く」という意味があり、どちらもとても縁起が良くなるお守りとしての役目があります。

本来、「節句」とは「邪気」が忍び寄ってくるものとされる時期を表していました。
「お正月」や「上巳の節句(雛祭り)」「端午の節句」など、季節の変わり目に「節句」があります。
その「節句」には、鬼や邪気、悪いもののけがやってくるのです。
要は、季節の変わり目には体調が悪くなりやすいので、そういった行事を通して自制しなさいという意味なんでしょうね。

では、簡単に「羽子板の豆知識」などを・・・

羽子板の歴史
「羽根突き(はねつき)」の道具である羽子板に絵が描かれ、縁起をかつぐようになったのは江戸時代、文化・文政のころのことだそうです。この時代、ようやく庶民が文化・経済活動に参加し始め、印刷の方法も改良されていたというのが主な引金だと思われます。当時、人気のあった役者の似顔絵などを印刷して人気に応じて値段をつけ、現在大量生産されているキャラクター商品さながらでありました。
江戸時代になり羽子板の図柄は日の出・七福神・松竹梅など目出度い絵に加えて、町人文化・元禄文化を反映して「歌舞伎」の役者絵が登場します。錦絵の影響を受けた貼り絵の羽子板が作られ、江戸時代の終わり頃に、押し絵を応用した役者似顔絵が作り出され、高い人気がありました。
明治時代に入り、歌舞伎黄金時代が到来し、九代目団十郎・初代左団次・五代目菊五郎などの名優が登場、押し絵や押絵羽子板が江戸工芸・東京の職人芸として完成していきました。
「羽根突き」は、無患子(むくろじ)という木の実に鳥の羽根を付けて作った物を、桐板を薄く持ちやすいようにした羽子板で打ち上げる「神事・左義長」(宮中の正月の儀式で悪を追い払う行事)が元になっています。無患子の実を打ち上げる際に鳴る「カーン!」という甲高い音で、もののけや邪気を驚かせて退散させようとしていました。また無患子は『子供が患わ無い』とされ、この無患子を使う事で子供に災いがかからないようにとの願いが込められています。
羽子板を飾ることは、昔からの伝承によって諸々の邪気をはね(羽根)除けて、健やかに育つようにとの願いが込められているのです。

押絵羽子板
・綿を布でくるんで、さまざまに立体的な絵柄を仕上げる「押絵」が羽子板に取り入れられたのは、江戸時代の初めごろです。
・江戸時代後期の文化文政期(1804〜 1829)になると、歌舞伎役者の舞台姿を写した押絵羽子板が登場して江戸の人々の人気を博しました。
・押絵羽子板は押絵を桐の板に貼り付けて作られます。
押絵の「押す」という言葉は、昔は紙を張ることを紙を押すといい、布を張ることを布を押すといいました。この押絵羽子板もそこから来たもので、厚紙に羽二重の布をかぶせ、中に綿を入れてふくらませ布の端を厚紙の裏にまわして張ったものを、桐板に貼り付けたものです。
全部で60〜100以上もの材料を組み合わせおよそ200以上の工程をかけて一枚の羽子板として仕上げられます。押絵羽子板には一般的に男物と女物があり、男物は縁起物として不景気をはねのけると言われ店内に飾られる事が多く、女物は女子のお祝い物として飾られます。
男物は歌舞伎役者が見えを切ったときの表情や仕草を描いたものや、人気役者の顔を似顔絵風に描いたものが多いことから「役者物」といわれ、女物は眼のパッチリとした美人を描いた「見立て物」、浮世絵の美人を描いた「浮世絵風」、細めの日本画風美人を描いた「松園風」があります。近年では「ぼかし」の技術を新たに取り入れた平成の美人顔が人気が高く、このように美しくなって欲しいという親の願いが込められています。


ここからは「破魔弓の豆知識」を・・・

■ 破魔弓の由来 ■
元は魔や厄災を払い除くと言う神事用の弓となります。弓矢は元々武器の一つでしたが、その威力からか、邪気を祓い悪魔を恐れさせると言う特別な力が備わっていると考えられていました。その為、公式な神事や棟上の式等のお払いの行事にも使われていました。弓矢自体に、目には見えない精霊を退散させる力が有るものと言う意味と、人間には知る事の出来ない方向と距離を判定する占いの用具としての意味も有ります。
したがって、神社等では平安の頃から、魔除けの意味での破魔弓神事や、年占い神事が行われていました。「はま」は弓矢で射る的、もしくは的射の競技を意味する語で、後に『破魔』の字を当てて、魔を射る矢と解されるようになりました。
これらの神事が一般に広まり、現在の形になってきたのは鎌倉時代以降と言われています。各地の城下町を中心に武家や豪商の間で、破魔弓を飾って悪魔を追い払い、家内安全を祈るようになりました。
初正月に男の子をお祝いする風習は各地に元々あり、男児の玩具弓矢と結びつき、男の子の健やかな成長を祈る飾りになっていきました。今日でも、文字通り魔除けと厄払いのお守りとして、お子様の身を護るための防具として贈りあう習慣が残っています。
破魔弓とは、節目であるお正月に、男子の健やかな成長と子孫繁栄を願う親の気持ちを表し、子供への絶える事の無い願いを具現化したお飾りなのです。

ここまで・・・・・・・・・・・・


みなさんも、『家内安全』と『身体健康』を祈って、縁起の良い「羽子板」「破魔弓」をお飾りいただき、楽しいお正月をお迎えくださいませ

 

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